なあ、クマタロンよ、お前は何がしたいんだ? 本当に私が嫌いなのかい?
 外れない様にとカバンに出来得る限り巻きつけていたというのにも関わらず、彼はまたもや脱走してしまった。二度あることは三度あるとはたしかによく言ったものだけれど、二度あったことだからといって、本当に三度目まで実行しなくてもいいはずだ。
 カバンには、ぐるぐるまかれたミサンガだけがそのままのこっている。どうやら今回問題があるのはクマタロンの方らしかった。
 確かに前回の脱走の時に、ミサンガごといなくなるなと言ったのは間違いなく私だけれど、だからといって、クマタロンのみならば良いというわけではない。
 そもそも、脱走事態、お断りである。





 主観






 机の上に置いたカバンを見つめたところで、クマタロンが何時脱走したのかなんてことはわからない。当たり前だ。そこに残っているのは、カバンの持ち手にぐるぐると巻きつくミサンガのみ。勿論、それだってとっても大切なものだ。残っていてくれてほっとはしている。でも、だからってクマタロンがいなくなっても良いなんていうことはない。
 一応どこかに落ちてはいないかと、校門までひき返して探して見たりもしたけれど、クマタロンらしき物体は何処にも見あたらなかった。彼は今頃、登校途中の何処かで、ざまあみさらせと舌を出しているかもしれない。
 そこまで嫌われるようなことはした覚えが無いと思いながらも、手触りがいいからと、多少強く握ることはよくあったかもしれないので、なんとも言えない。


ちゃん。」
「おはよー、洋平くん」


 名前を呼ばれて、机の上のカバンから視線を上げた。片手を上げて入ってきた洋平君に挨拶を返す。と、彼からも同じように短い挨拶が返った。


「はよ。…やっぱり。」
「へ? なに?」


 聡い人だから、落ち込んでいるのを悟らせまいと、殊更普段通りに対応したつもりだった。けれど、殊更普段通りに、なんて思っている時点で、普段通りなわけはなかったのかもしれない。不可解な言葉はつまりはそういうことだろうかと理解したなら、洋平くんは、にっこと笑って、右手を差し出した。


「これ。ちゃんのだろ」


 彼の手の中には、ぼんやり間抜けな顔をしたクマのぬいぐるみ。


「それ、どこで…!」
「学校の近くで落ちてたからさ。見覚えあるからもしかしてって」


 持って来た、と、言う洋平くんに、保護され戻ってきたのは、問題児クマタロンだ。
 なるほど、二度在ることは、やはり三度あったわけだ。
 はい、と渡されたソレを、受け取る。少し汚れてしまったような気もするけれど、それは元からだったような気もした。
 脱走原因は多分、と目星をつけていたところを確認する。やっぱり、チェーンを通すべき部分が切れてしまっていた。
 手元を覗き込む洋平くんに、笑う。


「もう駄目だね…」


 これでは、もうつけられない。唯一首に巻いてるリボンになら、ヒモやチェーンなんかを通せるかもしれないけれど、まさか、そんな如何考えてもグロテスクな見かけにしかならないことはしたくない。
 それにしても、どうしてこうも次々と支障が出てくるのだろうか。もしかして、クマタロンは、もう無理だと言いってるんじゃないだろうか。早く諦めろって、言いたいのかもしれない。


「でも、ここ」
「え!?」
「ここ、縫えばまだいけるんじゃない?」


 洋平君の指が、つい、と上がってクマタロンの頭に、小さく横に線を引いた。
 たしかに、通しの部分は、パカと綺麗に切れていたから、縫えばごまかしがききそうだった。
 だけど、


「でも私不器用だから、きっとよけい変になっちゃう、かな…」


 自慢じゃないが、昔から細かい作業というのが苦手だった。家庭科という科目について。通知簿上の話で言えば平均をもらえてはいた。しかしそれは、授業態度とテストのお陰、だ。評価が技術点のみだったとしたら、流石に1はなくとも、2は確実だったろうと自信お持って言える。優しい友人たちは、それは目が悪いからであるだとか、指先の感覚が鈍いのが原因だとか、色々な、慰めなのか理由なのかわからないものを教えてくれたりもしたものだけれど、だからといって、それらがその問題を解決してくれる糸口にはならなかった。つまり、残念なことに未だに、家庭科技術点は2のままである。


「こいつ、これで三度目の脱走なんだー…」


 余計なことをして、クマタロンにこれ以上の重症を負わせる冪では無いのではないか。ここはすっぱり諦めて、部屋にでも飾っておいたほうが、いいのではないだろうか。それを、クマタロンは、望んでいるのではないだろうか。せめて、私とほとんど共にすごすことを回避しようとして彼は脱走を企てているのかもしれない。
 しかし、だから、どうして、私はそこまで嫌われなくてはならないのか。


「そんなに私が嫌いかー!」


 ていてい、とクマタロンの鼻を攻撃して見せたなら、洋平くんが「でも、」と少しだけ、笑う。


ちゃんにとっては大切なんだろ? ちょっとぐらい嫌われたてたって、持ってたらいいじゃん。」


 彼は、何のことを、言っているだろうか。
 考えながら、ぐい、と手の中のぬいぐるみの鼻を押す。
 ああ、そうだ、こいつの話だ。クマタロンの。


「だいたい、何度も戻ってきてるならそれは、ちゃんが嫌いじゃないってことだと思うけどなぁ。」


 洋平君は、困ったように、笑って、鼻を押しつぶされたまま顔が歪んだクマタロンを指差した。


「あんまり疑うと、そいつも可哀想じゃねーかな。」


 そうか。そうだろうか。そういうことも、あるのだろうか。


「そう…そう、だね…」


 もし、そうなら。ねぇ、クマタロン。どちらの可能性もあるっていうなら。それが五分五分だっていうなら、私があんたを持っていたいって思えば、それは、そっちのが、優るってことじゃ、無いだろうか。私の気持ち次第で、良いんじゃないだろうか。
 クマタロンの鼻をつまんで、恨むなら口の無い自分を恨みなさいね、と心の中で呟く。
 ああ、だけど、洋平くん、洋平くん。それは本当にクマタロンの話をしているのだろうか。貴方のことだから、もしかして、わかっていて…。
 五分五分だというのなら、私の気持ち、次第で、良いのかもしれない。
 相手の気持ちなんて、ねぇ、わかったような気がしてるだけで、100%がわかるわけは、ないんだから。「ありがとう」と洋平くんに頭を下げる。彼に言葉は無い。ただいつものように、とても、とても優しく微笑んだだけだった。