学級日誌を書き終え、教室を出る。日誌は当番制で書くことになっていた。中学の時は日誌自体がなかったので、ソレを知ったときは学級日誌というものは都市伝説じゃなかったのかと驚いたものだ。
 人の少なくなった廊下で、椅子に座りっぱなしで固まってしまった体を解すように、ぐっと伸びをする。急にカバンが重くなって、負けじと引っ張り返した。とたん、カバンが軽くなって、よろける。窓枠に引っかかっていたカバンは外れた。けれど変わりに、何かが落ちるのが見えた。
 クマタロン、二度目の脱走である。




捜索


 どうしよう、みつからない…。
 その場にしゃがみこんで、溜息を吐いた。
 クマタロンの華麗なる二度目の脱走劇は、窓からダイブなどという自殺さながらのものだった。
 すい、と上を見上げる。あの窓から落ちたのだから、ここらあたりに彼の姿があるはずだった。が、見当たらない。軽く20分は探したが、一向に見つかる気配がなかった。
 ああ、クマタロン。お前はそんなに私のことが嫌いなのか。確かにお姉ちゃんに比べて私は地味かもしれない。だけどそもそも、あんたを私に託したのはお姉ちゃんだ。
いや、確かにあんたも悲しいのかもしれないよ。それにすぐ物を壊す私だ。いくら私が大事にしているつもりでも、あんたからしたら多少乱暴な扱いに感じるのかもしれない。だからって、何もミサンガごといなくなることないじゃないか。
 出て来い、出て来いと念じながら、地べたに這い蹲るようにして彼の姿を探す。
 見栄えは悪いけれど、しかたない。これが一番見付かりやすい探し方だった。
 人通りの少ない場所だというのが、唯一の救いだな、と思ったとたんに、人の声。


「どうしたの?」


 聞いたことのあるような、凛とした声に振り返る。"アヤちゃん"だ…!
 驚いてただ見返したなら、彼女は私の姿をみてすぐに失せものと、悟ったようだった。


「何か探し物?」
「あ、えっと、クマのキーホルダー、なくして…」


 ほとんど無意識に答える。彼女は少し考えた後、にっこり、笑った。


「一緒に探してあげるわ!」


 一瞬、ぽかり、と間が空いた。
 私は彼女を知っている。が、それはリョーちん先輩の好きな人だからで、一方的なものだ。つまり彼女からしたら、私は見ず知らずの女、なはずである。


「あ、や、いいです、悪いです…!」


 自身の無言に気付いて、慌てて、言葉を紡いだ。


「いいから、いいから!」


 彩子さんにまかせなさい、と腕まくりをして、彼女は辺りを探し始めた。じぃん、と感動、している場合ではない。


「ありがとうございます」


 感謝の言葉を口にしたなら、その人は「それは見付かってからね」とチャーミングに笑った。




… ○ ○ ○ …





 大きいわけではないけれど、ピアスや指輪のように小さいものではないから、すぐに見つかるだろうと思っていた。けれど、それは、なかなか見つからない。最初こそ、自己紹介なんなり、ぽつぽつとあった会話も20分を軽くこえる捜索時間になくなった。
 やっぱり、私には持っている資格が無いってことなのだろうか、クマタロンも、ミサンガも。
 なんにせよ、これ以上彩子先輩にまで迷惑を掛けるわけにはいかなかった。


「すみません、やっぱり、もういいです。」


 いくら私がクマタロンを大事だといったところで、彼が私を嫌いなら仕方が無い。ミサンガだって、私が持ってていいものでは、なかったのだろう。


「時間とらせてすみませんでした。」


 頭を下げると、上から凛とした声が振る。


「何言ってるの! こんなに長く探すくらい大事なものなんでしょ? 絶対見つけなきゃだめよ」


 叱る口調で始まったそれは、ふわりと優しい笑顔で締めくくられた。くるりと、背を向けられる。私を置いて、彼女は捜索を再開した。


「、あの…」


 本当にもういいのだ、と言葉にできない。本当に、もういいわけじゃない。でも、探したって見つからないのなら、探したところで、仕方が無いじゃないか。これだけ狭い場所で、コレだけ長い時間探したのに出てこないのだ。もしかしたら、誰かが拾って持って行ってしまったのかもしれないし、何処かの野良猫が気に入って持って行ってしまったのかもしれない。クマタロンにいたっては大冒険だぜヒャッホイと、喜んでだっているかもしれない。


「ぁ、」


 二度も手を離れたのだ。それは彼の意思なのかもしれなかった。


「ねぇ、ほら! これじゃない!?」
「え…あ、そ、それ、それです!!」


 彩子先輩の弾む声に顔を上げた。彼女の手には、ぼやっとした顔のクマのキーホルダー。それは勿論、クマタロンだった。私からは離れてもミサンガは離す気がなかったらしい。ちゃんと一緒にあった。


「よかった…」


 少し汚れたソレを受け取って、ぎゅっと力を込める。
 あそこで諦めていたら、きっともう、出会えなかったろう。いや、私は既に諦めていた。諦めなかったのは目の前の人だ。彼女が諦めずに探してくれたから、だから、また、クマタロンも、ミサンガも、私の元へと帰ってきてくれた。


「あ、ありがとう、ございます」


 おかしなことに、お礼を口にしたとたん、ボロボロと涙があふれる。
 うれしいからなのか、かなしいからなのか、自分でもよくわからなかった。
 彩子先輩の手が優しく髪を撫でる。
 とても格好よくて、優しい人。リョーちん先輩が、彼女を好きなのも、凄くよくわかる。敵うわけが無い。


「やっぱり大切なものだったのね、よかった」


 彼女は私が嬉しくて泣いているのだと、判断したらしかった。
 真剣に探してくれたせいで、彼女のジャージに汚れが付いているのに気付く。私の視線に気付いた人は、どうせ洗うのだからと微笑む。
なんて美しい人だろうかと更に溢れそうになる涙を堪えた。


2009.11.17