それは、本当にたまたま、だった。この前出し損ねたプリントを、提出の為、職員室へと持ってきたのだ。 ドアに手をかけるまえに、それはカラリと自動で開いた。 勿論、公立高校の職員室のドアが自動のわけがない。中から人がでてきたからだ。 「あら、ごめんね」 失礼します、と頭を下げて出て行ったのは"アヤちゃん"とその友達だった。ピンと綺麗に伸びた背筋を、自然と目で追う。スタイルよくて、美人で、先輩が好きになるのも、よくわかる。神様の不公平を少しばかり呪いながら、職員室のドアに手をかけた。 「でもアヤは、宮城くんのこと好きじゃないんでしょう?」 ドキリとして、思わず、ドアを引くのを忘れた。ドアに手をかけたまま、動かないのはきっと不自然だったろう。だけど、そんなことを考えている余裕はなくて、耳は、彼女たちの会話を懸命に拾っていた。 「好きじゃないわけじゃないわよ」 「えー、なにそれー」 キャッキャとした楽しそうな声が遠ざかっていく。ドキドキと、心臓が鳴る。"好きじゃないわけじゃない"。それはいったいどういう意味だろうか。いや、彼女が彼のことを嫌いじゃないのはわかっていた。嫌いな人に対する態度じゃないのは、見ていればわかるから。だから、そうだ、別に其の答は、可笑しくなんて無いはずだ。 幸福「ちゃん、どうかした?」 花道くんの様子を見に行くという同級生たちに誘われて、体育館に向かっている時だった。行きたいような行きたく無いような気がしながら、それでもついて歩いていたなら、いつの間にか隣まで下がって来てそういったのは、やっぱり洋平くんだ。 彼はいつだって、人のそういう、些細な変化を見逃さない。 「"先輩"?」 例えば、こうやって、恋の相談を、男の人である彼にすることになったのだって、自分から彼に相談を持ちかけたわけじゃ、なかった。彼が、あたかも当たり前のように何時の間にか、それを知っていたからだ。 自分はそんなにわかりやすいかと思ったりもしたけれど、どうやらそれは、唯、単純に彼がとても人の小さな仕草まで良く見ている人である、ということが理由らしかった。 「あったような、なかったような?」 「何それ?」 困ったように笑った彼に、なんなく、ほっとする。彼はいつだって無理矢理話しを聞きだすようなことはしない。なのに、彼と話しをしていると、すんなり、言葉のほうから出てきてしまうのだ。とても不思議な人だった。 「幸せになってくれたら嬉しいんだよ。だってあれだけ一途に思ってるんだから。」 でもじゃあ、どうしてこんなに胸が苦しくなるのだろうか。 彼女も彼のことを好きかもしれないと知ったとたんに、どうしてこんなに、動揺することになるのだろうか。もしかしたら、彼が幸せになれるかもしれないんだから、喜ぶべきじゃないか。 「結局、フリ、だったの、かな。本当は先輩の幸せなんか、どうでもよくて、応援する自分に酔ってただけなのかも、しれないねぇ」 ただ、良い人のフリをして、自分は見ているだけでいい、彼が幸せになればいい、なんて言って、彼女が振り向かないのをいいことに、それ前提で彼のことを応援していたなんて。 なんて、ヤなヤツだろうか。こんなヤツ例え"アヤちゃん"がいなくたって、先輩に好きになってもらえるはずがない。このミサンガだって、私には持ってる資格なんて無いのかもしれない。クマタロンとカバンを繋ぐミサンガに触れる。あのときの笑顔を思い出して、きゅうっと胸が苦しくなった。 「でもさ、」 洋平くんの声がして、ミサンガから手をはなす。普段とかわらないぼやぼやした顔でクマタロンが揺れた。 「"恋"っていうのが、そもそもそういうものなんじゃないかな。」 クマタロンから視線をはずして洋平くんを見たけど、彼は考えながら話をしているのか、正面の、少し上を向いたままで、目は合わない。 「ちゃんは、"先輩"の幸せがどうでもいいわけじゃないよ。哀しんでほしくないっていうのも、もちろん本当。」 こくり、と頷いて、彼が振り返った。俺が保証する、と笑う。 洋平くんの保証とは、なんて信用度の高い保証だろうか。 「ただ、自分だって幸せになりたいよな。ちゃんの幸せだって、願ってやんなきゃ駄目だろ、だから…難しいよな」 逸れた視線は、すぐに空を見上げた。 どちらの幸せも願っていることに嘘は無いのだ、と彼は言う。 二人の幸せ、というのが決して成り立たないものでは無いけれど、だけど私の場合は、成り立たなかったのだ。ただそれだけだった。 そうか、なら、やっぱり、仕方が無いのか。私は自分が幸せになれないことを哀しんだだけだったんだから。 気持ちが、すぅっと軽くなる。洋平くんはいつだって、私自身気付いてないようなことに気付いてさり気無く手を差し出してくれる。頭が良いんだろうなぁ…凄い人だ。 「洋平くんは、優しいねぇ」 そう言ったら、彼は振り返って、いつもするみたく困ったように笑う。優しくなんかないよ、と言っているみたいだ。私がお世辞じゃなくて、本気でそう思ってるよといったところで、彼は信じてくれないのだろう。 優しい人でなかったら、こんな話に付き合ってくれないだろうに。優しい人でなかったら、落ち込んでいる私に声なんてかけないだろうに。 「ありがとう、元気でたよ!」 「そっか、よかった」 笑顔をつくれば、彼も同じようにニィッと笑う。 幸せを、願うくらい、いいよね。 先輩の幸せも、私の幸せも、同時に成り立たないものかもしれないけど。だけど、願うくらいは、いいじゃないか。 クマタロンのつながるミサンガに触れる。 せっかくの、ミサンガなのだから、これに幸せを願ってみようか。 先輩の幸せと、私の幸せと、それから、洋平くんの幸せも。 どうかどうか大切な人達みんなが、幸せになれますように。 2009.11.13 |