「おや…」
「ああ…君か」




 丸く淡い光が、黒い雲に見え隠れする。
 風は少し肌寒いくらいだが、酒を飲むにはむしろ都合がよかった。




「律儀な人ですね」




 正直な所、この人がココ来ることは、無いのではないかと思っていた。
 多少強引に引っ張って連れてくる共通の友人なくしては。
 一人分空けて、隣へと腰を下ろす。横目でそれを見届けた人は、持ってきた盃を一つ手にとった。




「そういうものでもあるまいよ、だいいち」




 皮肉気に顔を歪めて、彼は彼の持つ盃を見つめると、互いの間にある一人分の空間へとそれを置き、笑う。




「美味い酒に、有り付かない手はないさ」




 ころころと表情の変わる…。
 そう在らねばならぬというのが、彼の中にはあるようだったが、本当、なのは、どれであるか、自分には想像もつかない。


  西田くんなら、知っていたんですかねぇ…


 しかし、自身の友人が好きな彼というのは、そうで在る彼や奥に潜む何かというよりは、そう在ろうともがく彼だったのだろうから、つまりは、どれが本当だとかいうことなく、どれもこれもひっくるめての、先輩、だったのだろう。




「君こそ」




 間に置かれた盃に、酒を注ぐ。ソレを三つ持ってきた意味を、分からぬ人ではなかった。




「律儀ではないか、良い酒だ」
「お忘れですか、うちは神社ですから、酒には困りません」




 言えば、可笑しそうに笑う。彼の横には、既に空いた酒瓶が一つ転がっている。少し酔っておられるのだろうか…?
 いや、この人も酒には強いはず、これぐらいでは酔わぬだろう。弱かったのは、自分たちの共通の友人で、前回飲んだ時も、一人いち早く酔っ払っていた。




「家から盗って来たのか」
「人聞きわるいですね。酒は清めるためのものなれば、自身が飲むのは当然かと」
「それは屁理屈と言うのだよ」
「無論、承知の上です」




 どうぞ、と持ってきたソレを差し出したなら、酌を好まぬ人は、酒瓶ごと受け取った。
 とくとく、音を鳴らして注ぐのを見届けて、自身の分も封をあける。




「ただ、約束を守っただけですよ」




 約束したのだ、次はもっと良い酒を持参すると。また月見をしようと。
 それを、彼の先輩にまで強要することはできなかったけれど、一つの声をかけずとも、彼の思い人は、ここまで足を運んで来たようである。


  果報者ですねぇ、西田くん


 心の中、友人へと話しかけたなら、隣から小さな声が聞こえた。




「僕は…」
「…はい」




  ああ、またあの顔だ。


 この人は時々、酷く、泣きそうな…イヤ違う。泣くのを、嘆くのを、哀しむのを、無理矢理押し込めたような顔をするのだ。
 無理に押し込めれば、そのまま内に溜まる一方だろうに、彼がそうしないのはやはり、



「役職のせいですかねぇ…」
「 、なんだ…?」
「軍人とは、制服を脱いでも軍人なんでしょうか?」




 少し驚いたような顔を、したように思う。ちょうど雲に隠れた月のせいで、そう感じただけかもしれない。
 あるいは、自分は、彼の表情をどうにかしたかったのか。あの友人がいつもしていたように。
そんなこと、自分にできうるはずはないというのに。




「それは、軍人で在る前に、性格、だな」
「 、言われて見れば、制服を着たところで、軍人にならぬ人も幾多おりましたか」
「できれば、いて欲しくないものだが」



 思い出したのは、同じ人物、だったかもしれない。平和な世では、優しい人で済んだかもしれない人、勇気あるひとで済んだかもしれない人。でもそれは、その人達は軍人ではなかった。




「しかし、アイツも果報者だな」
「 、それは…」




 先程、自身が思ったそれだ。同じことを口にして、彼の先輩は笑う。




「彼の自慢の友人が、忘れるわけはなかったというところか」




 "彼の自慢の友人" なんとも…人の口から聞くというのは




「こそばゆいですね」




 元来彼自身がそういうことを臆面(・・)無く口にする人であったし、自身も彼を信じるに足る人と思っていたので、それなりの自惚れ(・・・)もあったのだが。




「彼の自慢の先輩から、言われるのはまた、なんだか…照れくさい気もします」
「自慢の先輩、ね」
「多分、そういうところも含め」
「 、君たちはたしかに友人だ」




 はぁ、と困ったように溜息を吐いて、彼の先輩は空を見上げた。いつの間にか姿を現していたらしい月のせいか、幾分晴れやかな表情をしているように、見える。そうであれば、いいと思う。


  ねぇ、西田くん。だって、貴方の大切な人が哀しむのを、あなたは望まないでしょう?


 雲が懸かる月というのも、自分は嫌いではないけれど。




「ああ、綺麗に見えましたね」
「ああ…」




 今宵ばかりは、かの人の好んだ月が、少しでも長く続けば良い。




今の僕の声は、
君まで届くのだろうか
 
ねぇ、西田くん?



「ところで、以前も思ったんですが、あなたザルですか」
「君には言われたく無いな…西田が弱すぎるんだろう」
「私はワクですよ。なのに平気で飲んでらっしゃる方がいるので」
「僕は配分を考えているだけだよ」



2009.10.04