さんも物好きですねぇ」


 自身を存分に棚に上げた物言いで、小津くんが笑う。
 流れに逆らえなかったからといって、私がここにいるのは否定しようの無い事実だったから、物好きと呼ばれることは甘んじて受けよう。しかし、彼にだけは言われたくないものである。樋口清太郎の弟子という肩書きだけでは飽きたらず、彼はなんとも愉快たらしい様々な肩書きを有しているのだ。相対するような肩書きであろうと何のその、なんとも上手く立ちまわり、様々な共同体に何食わぬ顔で交ざっている。しかもその共同体というのは様々に個性溢るるものばかりで、間違っても、一般的、あるいは普通、と呼ばれることのないだろうものばかり。彼は変なことを見つける天才、そして変なものに関わっていく天才にちがいなかった。


「何処からどう見ても、君のほうが物好きですね」
「だから、も、と言いました」


 あなたからの返事はわかっていました、と言いた気に、にぃーと口角を持ち上げる。あの師匠ににしてこの子あり、或は、正に類が呼んでしまった友だ。勿論この場合の友や類というのは目の前の人であり、師匠であり、彼が大層恋い慕っているご友人殿であり、間違っても私ではない。私は少々流されやすいだけの、至って普通の人間だった。この人達のような、天狗や妖怪の類ではない。


「それにしても、」


 お世辞にも広いといえない部屋を見渡して、彼はコテン、とかわいらしく首をかしげた。


「少々遅い気がしませんか?」


 疑問符を投げかけてくるとは、彼にしては珍しい。少しばかり覚えた違和感は、彼の口に出さなかった主語に入っていただろう人物を思い浮かべたことによりきれいさっぱり消え失せた。


「師匠のことだから、どこかに心奪われてるだけだと思いますが…」


 しかし、たしかに、この部屋で待っていろと言った時間帯からは、既に1時間半が経過していた。普段から時間きっちりに来るような人ではないので、気にしていなかったが、確かにこれはあまりにも時間がかかりすぎのように感じる。
 ひとつ気にかかってしまえば、手の中の知識たちに、意識を集中させることもままならない。少し文字列を撫でては、壁にかかる時計が気にかかる。いく分も動かぬ長針に目を奪われ、とうとう手の中の本には栞を挟んで、パタンと閉じた。


さんは師匠よりソレが大切なようですが、」
「誰もそんなことは言ってません」
「なるほど、僕が言わずとも、既に時間が掛かり過ぎだと気づいていたわけですな。しかし貴女はあえて気づかぬフリをしていたと…」


 にぃーと口角を持ち上げ大層嬉しそうに「流石、さん」嫌味たらしく付け足した彼に、思わず手の中の重みを投げつけそうになったが、そこは年上として思いとどまった。それにすら気づいているらしい彼は愉快そうにからからと笑ってくれているのだが、生憎とああ言えばこう言うような人種に態々近づいて行くような、無駄な時間の使い方はしたくない。それならば、また何処かを放浪しているかもしれない師匠を探して西へ東へしたほうが有意義である。
 正しく其の通りであると、立ち上がったなら、合わせたように彼も立ち上がった。


「師匠にここで待つように言われたのでは?」
「ここには君がいるから問題無いでしょう、私は探しに行ってきます」
「問題ありますよ、僕も師匠を探しに行きますから」


 今にも声を上げて笑い出すのではないかという顔で、然も当然であるかのようにそう言う彼には、自然とため息が生まれる。


「…此処にいてください」
「いやです」
「私を困らせて楽しいですか」
「困らせて楽しいなんてそんな非道無道なことは考え付きもしませんでした」
「…私は現在君のお陰で困っているわけですが」
「それは結果であって、理由ではありません」
「ねえ、小津くん、年上は敬うものだというのは、勿論知っていますよね?」
「ええ、勿論、兄弟子の言うことは聞くものであると、さんならば知っていることでしょう」
「あなたと私は一日しか違わないわけですが」
「86,400秒も違えば十分ですな」 


 一度は回避したはずである時間の無駄使いを今まさに行っていることに気づいて、ぐぐっと言葉を飲み込んだ。しかし、ここで引いてしまっては、まるで自分が負けてしまったかのようではないか。にまにまと嬉しそうな顔は如何にも、全てお見通しですよと言わんばかりで、そろそろ本気で手が出てしまいそうだと思っていたところに、ガチャ、と光が差し込んだ。


「…何してるんですか」


 三人、無言で見詰め合った後、無表情で言葉を落としたのは、ドアを開いた明石さんである。両手にぶら下げたビニール袋を、玄関の脇に置いて「よく飽きませんね」何が、とは言わずそう言った。小津くんより、ひとつ下の彼女も、また樋口師匠の弟子だった。
 小津くんや師匠のような濃い人たちをほとんど毎日のように見ているせいで、つい見落としそうになるが、彼女も結構な濃い人である。でなければ、年上二人にたいして、先ほどのような言葉は掛けられないだろう。少なくとも私ならばできない。


「あなたも師匠に呼ばれたんですか」


 小津くんが声を掛ければ、明石さんは、はて、と首を傾げた。
 それはそうだろう。明石さんが私たちと同じように呼ばれていたのなら、こんなに遅れて来るわけは無いではないか。此処にいる三人並べて考えて見ても、どうしたって彼女が一番何事に関してもきっちりとしたタイプだ。しかし、彼女の口から出てきた言葉と言えば、予想を裏切るもの。


「呼ばれはしましたが、多分呼ばれ方が違いますね」


 呼ばれ方?と疑問に思ったのもつかの間だった。彼女が靴を揃えて部屋に入ってくれば、開いたままの戸から、ふわりと風が吹き込む。


「やあ、諸君おそろいだね」


 外で待っていたらしい部屋の主がひょいと顔をのぞかせると、人を待たせていたとは全く思えぬ笑顔で入室してきた。
 「師匠!」嬉しそうに顔をほころばせた小津君が彼を呼べば、明石さんと同じように両手にビニール袋を提げていた師匠は、はて、と首をかしげた。
 その様子に、いやな予感が頭を過ぎる。
 「師匠…」と声を掛ければ「なんだね?」と振り返る。至って普段道理のそれに、いやな予感は益々大きくなるばかり。覚悟を決めて、口を開いた。


「もしや、今日の約束、お忘れではありませんよね?」
「約束?」


 ふむ、と考え込んだ人に、やはりきれいさっぱり忘れていたのかと、ため息を吐き出した。小津くんはといえば、別段気にした様子も無く師匠と明石さんの持つビニール袋の中身に興味津々といった様子だ。怒れとは言わないが、もう少しこちらに興味を持ってもいいものではないだろうか。よもや、私がおかしいのではないかと思いかけたときに、「ああ、」と漸く思い出したらしい師匠が声を上げた。


「そろそろ食料が尽きそうだったんだが…」
「師匠…」


 それはもしかしなくとも、今日私たちを呼んだ理由が食料調達であったということかと、くらくらとする頭を抱えたくなる。
 正確なところは知らないが、師匠は4回生という枠には収まりきらない大きな人物である。まあ、一般的な呼び方をするならば就職浪人であろうけれど、しかしまたその枠にも嵌ることの無い人だ。つまりは、就活をしている気配が無いということだけれど、私が言いたいのはそこではない。私が言いたかったところは、彼は私たちより何歳も、年上であったはずであるということだ。今更言うのもなんだけれど、当たり前のように年下にたかるのはどうだろうか。なんとなく小津くんは別にいい。どこからでも調達してきそうだし、何より、師匠に尽くすことがそれなりに楽しそうだからだ。まあ、私も、別にいい。正直な話、師匠に尽くすことは、小津くん程ではないにしろ、それなりに嫌では無い。楽しいというよりは、なんとなく、性に合う、といった感じだ。だけれど、小津くんよりもさらにもうひとつ年下である明石さんにたかるのは如何なものか!


「明石さん、断ってもいいんですよ…」
「…はい?」
「師匠にお金を出す人は小津くんはじめたんまりいるんですから…」


 ほろほろとこぼれそうになる涙をぐっとこらえてそう言ったなら、彼女は不思議そうに首をかしげた。こんないたいけな若人にまで食料調達の任を課すというのは、あんまりではなかろうか。


は存外面白いなぁ」
「あれ、師匠しらなかったんですか、あの人からかうと面白いですよ」


 背後から聞こえる聞き捨て為らない会話に、キッと睨み付けたなら、「おお、怖い」と然程思っていなさそうな様子で小津くんが師匠の後ろに隠れる。師匠はそれを目で追うと、つい、とこちらを見て、ほんの少しだけ首を傾けた。其の仕草に、睨むという所為が、とても恥ずかしいことのように思えて、どうしようもなくなりフイと視線を外した。


「ええと、もし、さん」
「はい?」


 ちょいちょい、と肩を突付かれて、顔を上げる。明石さんはそれを確認すると、突付いていた手をもう片方の手へと近づけて持っていたビニール袋を広げるようにして中を見せてくれた。


「これのお話でしたら、畑からとれたのを分けてもらっただけですので、代金は払っていませんよ」
「はたけ…」
「はい。なんでも形の悪いものや売れないものなんかを毎年捨てているそうで、聞いてみたらすんなりと分けてもらえました」


 たしかに、袋の中身はと言えば、土も払いきれていないかぶらばかりがたんまりと詰め込まれている。他の袋を確認したなら、確かに、どれもこれも袋の口からは同じような葉っぱが顔を出していた。
 ちら、と背後を確認したなら、なんとも嬉しそうに笑いをこらえる小津くんの姿。


「小津くん、君知ってましたね…」


 ひくつく頬を押さえて言ったなら、彼は笑いを含んだ声で「いやいや」と右手を左右に振って見せた。


「知っていようがいまいが、あなたに話す時間はありませんでしたから」